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仕事と愛について

by kei SUZUKI

 数年前、知り合いが立ち上げたサイト用に、料理とちょっとした文章を提供してくれないかと言われたことがあった。

 原稿料はいくらかと聞くと、まさか聞かれるとは思っていなかったようで、バツが悪そうに出世払いということでひとつよろしくエヘヘ......のあと、

「しっかりしてるんだね。そういうとこ、ビジネスマンっぽいよね。さすが」

 と言われた。

 ビジネスマンかぁ。

 脳内にオースティン・マホーンが流れる。Dirty work...... ooh!

 当時出版社の社員だった私にはフルタイムの年収があったから、そのうえさらに欲しいのかと言いたかったのだろう。

 上の台詞には、労働や収入に対する日本人の考え方がよく表れていると思う。

 仕事には対価が発生するという意識の欠如。

 必要以上に稼ぐことは悪であるという価値観。

 お金の話をするのはタブーだという感覚。

 

 この例は極端だとしても、似たようなことはたくさんある。

 今年も会社員とは別の仕事で多くのご縁があり、新たな連載がはじまったり、二冊目の本を出したり、様々な仕事に恵まれた一年だった。

 たくさんの仕事の依頼を受けたなかで、最初にギャラについて明確な提示があった会社はほとんどなかった。

 支払いの意志の有無を教えてくれないことも多くて、こちらから問い合わせて初めて回答がくる。ギャラ無しという場合もある。このやり取りだけでメールの往復が倍増する。

 ちなみに、最初に条件を提示してくれた数少ない企業のひとつである某広告代理店は、納品したあとで「クオリティが高かったから」という理由で増額までしてくださった。このご時世、そういう企業もある。

 

 なぜギャラや仕事をめぐってのまどろっこしいコミュニケーションがなくならないのか。

 それは、大手と呼ばれるマスコミやそれに準ずる企業で働く人が自分の時給を知らないからだと、私は思っている。

 打ち合わせを兼ねた飲み食いも多く、たいてい経費だし、深夜残業を本気で改善する気もなかったりする。しかも新卒で正社員採用だと、隣りに座っている社員の給与もだいたい分かってる。横並び感。仕事は確かにハードだけれど、毎月ある程度の金額は自動的に振り込まれる。

 自分の一時間は一体いくらなのか。自分ひとり雇うのに、いくらかかっているのか。

 計算してみたことがあるという人は、少なくとも私のまわりにはいない。

 自分の時給を知らないから、社外の仕事の対価というものにも意識が向かない。派遣のひとやフリーランスのひとの時給にも無頓着。

 いちど時給を計算してみたら、びっくりするかもしれない。手取りが30万円あっても、月240時間働いていたら時給1250円だ。

 もし時給に不満があれば、労働時間を短くするか年収を上げるかの二択しかない。そのために何ができるか/できないかによって、身の処し方が変わるだろう。真剣さの度合いもがちがってくる。

 時間と対価について真剣に考えたことがない職場ではたとえば何が起こるかというと、急に「コストカット」などという課題が貼り出されると、フリーランスのギャラを一律10%カットするくらいの策しか思い浮かばなかったりする。ホラー映画より怖い。

 私が転職をした経緯については長くなるので割愛するけれど、出版社にいた頃から「複業」をはじめた。

 戦略的にというのではない。好きで始めたことが思いがけず仕事につながったから、という感じ。

 恥ずかしながら、出版社を辞めるまで私も自分の時給について考えたこともなかった。

 転職市場で自分に値段がつけられたり、ひとを採用する側になったり、予算を組んで決裁する立場になったり、原稿料を提示されたりなどいろんな仕事を通して、自分の時間とお金を大事にするという当たり前のことを、遅ればせながらまじめに考えるようになった。もちろん、人の時間とお金も、だ。

 複業をすることで、見えたものはたくさんある。歴はまだ三年ながら、個人的な実感としての複業のメリットは以下──

①自分の市場価値が分かる。時給を強く意識する。

②収入源が複数あるので、ひとつに問題が起きた場合、しがみつかずに手放すことができる。ストレスが減り、次の仕事のアイディアや企画を練る準備もできる。

 働くことで心身を病んでしまう人を減らせれば、医療費の削減や自殺率の低下にもつながるだろう。説明するまでもなく、待ったなしで改善を迫られている日本の闇だ。

 他にも、いろんな知り合いができるとか、メリハリや刺激が生まれる、といった素晴らしいことはあるのだけれど、働き方に焦点を絞れば上のふたつ。

 

 日本で「提示された内容と金額に納得できれば仕事を受けるし、不満があれば断る。これを、自分の意志で決められる」という当たり前の働き方がストレスフリーにできないのは、マスコミで働くひとの意識が先に書いたような感じだからだ。

 私はマスコミについてしか分からないのだけど、他の業界にもそれぞれ問題があるだろう。

 もちろん、複業スタイルだけが素晴らしいわけではない。

 仕事の工程のなかに工夫を組み込んで、ひとつの職場で長く働いている女性の話をする。

 家族全員でお世話になっている近所の内科がある。小さい子どもがいたら、毎月なにかしらで通うから、もう玄関のドアがあいた瞬間に「あらー○○君は今日はどうしたの? ママも風邪?」みたいな感じで会話がはじまる。

 先週、子どもの風邪を診てもらいに行ったときのことだ。

 待合室で会計を待っていると、腰の曲がったおばあちゃんがひとりでやってきた。転んだとか、痛いとか、うめいている。耳が遠いらしくて、受付の人との会話も噛み合わない。受付の女性が、耳元でいくつか質問をしたり体の様子を確認したあと、

「うちは内科だから、骨のことは何かあったら大変だから、むこうの角にある形成外科にいってほしいの。ひとりでいける?」

 優しく説明している。彼女ももう高齢という年齢で、このあたりの住人の顔はほとんど知っているのだろう。

 私が連れて行ってあげたかったけど、もじもじして腰をあげそびれてしまった。

 おばあちゃんが出て行ったあと、受付の女性が形成外科に電話をしておばあちゃんの引き継ぎ要請をてきぱきと指示していた。これで、おばあちゃんが転んだ経緯をまたいちから説明する必要がなくなった。

「赤いコート着てるからさ、ちょっと窓から顔出してあげてね、よろしくね」

 そのひとは最後にこう言って電話を切った。

 誰にでもできることじゃないと、私は思った。

 電話一本くらい別に大変な仕事ではない。それでも、横着して、もしくは無関心で、指一本動かさないひとだっているのではないか。

 形成外科のひとが顔を出して、

「おばあちゃん、こっちこっちーー」

 手を振ってあげたら、おばあちゃんは安心するだろう。

 仕事というのは、究極には愛なのではないか。そう思った年の瀬のお話。

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